私の30代・40代
2009年 11月 09日
日テレの「みやね屋」や午前中のスポットニース等で見る、丸岡いずみさん、
38才ですってね。きれいだな~、特にみやね屋の時は照明さんやカメラマンがファンなのか、ことの他美しく映ってる。
北海道では、女子アナ3人組みたいな扱いで仕事させられていたけど、
「女子アナではなくて、アナウンサーでいたい」と辞めてどこかの試験を受けて、今に至ると聞きました。
そんな根性のある人がいることは嬉しい限りだけど、若いよなぁ~・・・
私の30代って、覚えていられないほど忙しかった。10代のころから具合の良くなかったかった母が、ぐんと悪くなり、入退院を繰り返すので、しょっちゅう実家に戻ってた。
母の心臓ペースカー埋め込み・大腸ガン手術・手首骨折・腎臓の食事療法、父の大腿骨骨折で入院泊り込み、40代に入ってからは透析通いの付き添い、母の葬儀、祖母の入院と葬儀、家の立ちのき・父の二度の引っ越し、父のガン闘病と葬儀・・・もう書ききれない。
救急車とお友達でしたね^^;、
その間、パン粘土教室のため義母が週に一日・ピアノ教室のため義妹が週3日・管理組合理事長だった義父が月一日、うちに来ていました。みんな長話の長っ尻で、夕食食べて夜遅くまで
合間にバイト(汗
気付いたら10kg以上太っている自分がいました
バイトのあと夕食の買い物して、病院へ寄り母の洗濯物を持ち、やっと座れた地下鉄の中でウトウトしていたら、元の会社の人に声を掛けられて恥ずかしかった。
メイクしなくなって何年?、髪振り乱して大きな袋を抱えて居眠りする私をどう思ったでしょうね
慶応病院、榊原病院、河北病院、東海大病院、女子医大病院、校正病院、
まだまだある・・・
自分の日常はほとんど覚えてないけど、父母のことでは忘れられない事があるわ。
父の病院に妹と交代で泊まり、自宅の母の透析の付き添い、食事療法なども交代でしていました。
ある日、妹から「お母さんが居ないっ!、カギも掛かっていなくて、布団が乱れて・・・」と電話。
慌てて帰ってみると、布団は冷たいし置手紙もない。一人で歩くのも覚束ないけど、一応近所を探して見ましたがいない、どうしたんだろうと二人で茫然。
世をはかなんで自殺?とまで考えました
・・・一時間ほど経って消防署から電話。母は立ち上がろうとして布団に足を取られて転び、手首を骨折したそうで迎えに来てほしいとの事。
駅北口の外科病院に救急車で運ばれたのですが(なんと父の入院先で私もサイレンを聞いてました)、透析患者は診られないと断られ、慶応病院に運ばれたそうです。
通常は救急隊がメモを残して戸締りの確認もして行くそうですが、ペースメーカー入れた透析患者が骨折って、救急隊も慌てるでしょう(笑
肝をつぶした長い夜でした。
母は心臓だけで5つも病名がついていましたが、ペースメーカーを入れるにあたっての再検査で原因不明の症状があり、説明を妹と二人で聞きました。
父は気の弱い人で、その前の検査結果を聞いたときに気分が悪くなって倒れそうになり、大腸ガンの時も摘出した患部を見せられた時も青くなっていました。
医者は専門外なのではっきりとは分からないが、脳幹のガンがあるかも知れない、とのことでした。さすがにその時は私も妹も血の気が失せました。
退院後の検査で無いことが分かったのですが、その後しばらくしてお腹が痛いし便秘がひどいと言うので検査したら、大腸ガンが見つかりました。
外科らしく威勢のいい名医に執刀してもらえたのですが、その時「腎臓が奇形で、肥大しているので大腸を押すので発見出来て良かった」と言われました。
奇形・・・そっか、と思っただけでした。
ペースメーカーのおかげで、六畳間の端に居ても乱れた鼓動が聞こえたり、突然止まったりする、とんでもない不整脈はなくなりましたが、相変わらず血圧は高く、目の血管が切れたり、280なんて時もありました。
昔は一晩中、鼻血が止まらなかったりしていたので楽にはなったと本人は言ってましたが、またまた検査をしたら、遺伝性の腎臓病でした。
通常は親が具合が悪くなるので早くに見つかるそうですが、遺伝の元は母の父親だったのです。赤ん坊の頃に祖父母が離婚していて分からなかったんです。
外科の名医も心臓の名医も、専門外のことは良く分からないものだな・・・
もっと早くに分かっていれば、心臓・高血圧も腎臓が原因ですので、ここまで悪くならなかったと思います。
遺伝の確率は、4:5。私も遺伝していました。子供いなくて良かったわ。
私は苦労が少ないせいか(笑)、少し血圧が高い程度でまだ大丈夫みたいです。
半年に一回検査をするように言われていますが、検査したって治るわけでもなし、普段の生活に注意して自覚症状が出たらしようと思っています。
母方の女性は、みんな90才以上の長生きなのですが、母は64才で亡くなりました。
私もそのくらいだろうと思っていましたが、他に病気がなかったら、も少し行けそうな気が。
なので老後の資金は圧倒的に不足です。予定が狂った
父母のことが終わったら、再就職は不可能に近い年齢になっていました。
(それもあり店を始めましたが、却って資金は減りましたでもお友達が増えたし楽しかったです)
親の看護は大事です。あ~、それにしても、女性は30代・40代のお手入れが大切だと、つくづく思う今日この頃・・・
*他にも、ブログに書いたけど、父の誤診、最終的に栄養点滴の管を外すかの選択(餓死させるか、ガン死を待つか)、母のとんでもない食事療法の計算など、苦しい事が沢山ありました。
それもこれも、良くなるなら甲斐もありましたけど、本人も辛かったと思います。一生懸命に介護・看護していた人は、亡くなられると、みんな残念だと思っていることでしょうね。
38才ですってね。きれいだな~、特にみやね屋の時は照明さんやカメラマンがファンなのか、ことの他美しく映ってる。
北海道では、女子アナ3人組みたいな扱いで仕事させられていたけど、
「女子アナではなくて、アナウンサーでいたい」と辞めてどこかの試験を受けて、今に至ると聞きました。
そんな根性のある人がいることは嬉しい限りだけど、若いよなぁ~・・・
私の30代って、覚えていられないほど忙しかった。10代のころから具合の良くなかったかった母が、ぐんと悪くなり、入退院を繰り返すので、しょっちゅう実家に戻ってた。
母の心臓ペースカー埋め込み・大腸ガン手術・手首骨折・腎臓の食事療法、父の大腿骨骨折で入院泊り込み、40代に入ってからは透析通いの付き添い、母の葬儀、祖母の入院と葬儀、家の立ちのき・父の二度の引っ越し、父のガン闘病と葬儀・・・もう書ききれない。
救急車とお友達でしたね^^;、
その間、パン粘土教室のため義母が週に一日・ピアノ教室のため義妹が週3日・管理組合理事長だった義父が月一日、うちに来ていました。みんな長話の長っ尻で、夕食食べて夜遅くまで
合間にバイト(汗
気付いたら10kg以上太っている自分がいました
バイトのあと夕食の買い物して、病院へ寄り母の洗濯物を持ち、やっと座れた地下鉄の中でウトウトしていたら、元の会社の人に声を掛けられて恥ずかしかった。
メイクしなくなって何年?、髪振り乱して大きな袋を抱えて居眠りする私をどう思ったでしょうね
慶応病院、榊原病院、河北病院、東海大病院、女子医大病院、校正病院、
まだまだある・・・
自分の日常はほとんど覚えてないけど、父母のことでは忘れられない事があるわ。
父の病院に妹と交代で泊まり、自宅の母の透析の付き添い、食事療法なども交代でしていました。
ある日、妹から「お母さんが居ないっ!、カギも掛かっていなくて、布団が乱れて・・・」と電話。
慌てて帰ってみると、布団は冷たいし置手紙もない。一人で歩くのも覚束ないけど、一応近所を探して見ましたがいない、どうしたんだろうと二人で茫然。
世をはかなんで自殺?とまで考えました
・・・一時間ほど経って消防署から電話。母は立ち上がろうとして布団に足を取られて転び、手首を骨折したそうで迎えに来てほしいとの事。
駅北口の外科病院に救急車で運ばれたのですが(なんと父の入院先で私もサイレンを聞いてました)、透析患者は診られないと断られ、慶応病院に運ばれたそうです。
通常は救急隊がメモを残して戸締りの確認もして行くそうですが、ペースメーカー入れた透析患者が骨折って、救急隊も慌てるでしょう(笑
肝をつぶした長い夜でした。
母は心臓だけで5つも病名がついていましたが、ペースメーカーを入れるにあたっての再検査で原因不明の症状があり、説明を妹と二人で聞きました。
父は気の弱い人で、その前の検査結果を聞いたときに気分が悪くなって倒れそうになり、大腸ガンの時も摘出した患部を見せられた時も青くなっていました。
医者は専門外なのではっきりとは分からないが、脳幹のガンがあるかも知れない、とのことでした。さすがにその時は私も妹も血の気が失せました。
退院後の検査で無いことが分かったのですが、その後しばらくしてお腹が痛いし便秘がひどいと言うので検査したら、大腸ガンが見つかりました。
外科らしく威勢のいい名医に執刀してもらえたのですが、その時「腎臓が奇形で、肥大しているので大腸を押すので発見出来て良かった」と言われました。
奇形・・・そっか、と思っただけでした。
ペースメーカーのおかげで、六畳間の端に居ても乱れた鼓動が聞こえたり、突然止まったりする、とんでもない不整脈はなくなりましたが、相変わらず血圧は高く、目の血管が切れたり、280なんて時もありました。
昔は一晩中、鼻血が止まらなかったりしていたので楽にはなったと本人は言ってましたが、またまた検査をしたら、遺伝性の腎臓病でした。
通常は親が具合が悪くなるので早くに見つかるそうですが、遺伝の元は母の父親だったのです。赤ん坊の頃に祖父母が離婚していて分からなかったんです。
外科の名医も心臓の名医も、専門外のことは良く分からないものだな・・・
もっと早くに分かっていれば、心臓・高血圧も腎臓が原因ですので、ここまで悪くならなかったと思います。
遺伝の確率は、4:5。私も遺伝していました。子供いなくて良かったわ。
私は苦労が少ないせいか(笑)、少し血圧が高い程度でまだ大丈夫みたいです。
半年に一回検査をするように言われていますが、検査したって治るわけでもなし、普段の生活に注意して自覚症状が出たらしようと思っています。
母方の女性は、みんな90才以上の長生きなのですが、母は64才で亡くなりました。
私もそのくらいだろうと思っていましたが、他に病気がなかったら、も少し行けそうな気が。
なので老後の資金は圧倒的に不足です。予定が狂った
父母のことが終わったら、再就職は不可能に近い年齢になっていました。
(それもあり店を始めましたが、却って資金は減りましたでもお友達が増えたし楽しかったです)
親の看護は大事です。あ~、それにしても、女性は30代・40代のお手入れが大切だと、つくづく思う今日この頃・・・
*他にも、ブログに書いたけど、父の誤診、最終的に栄養点滴の管を外すかの選択(餓死させるか、ガン死を待つか)、母のとんでもない食事療法の計算など、苦しい事が沢山ありました。
それもこれも、良くなるなら甲斐もありましたけど、本人も辛かったと思います。一生懸命に介護・看護していた人は、亡くなられると、みんな残念だと思っていることでしょうね。
# by bumidayat | 2009-11-09 17:52 | PKD・体のこと | Comments(0)

















































