勤めていた会社『A産業』のこと

懸賞 2006年 04月 03日 懸賞

1975年頃の商社は厳しかったようで、倒産したり合併して名前を変えたところが多かった。伊藤萬、金商又一、野村貿易、蝶理とかね。その最後が私の勤めていた、『A産業』ということだった。

『A産業』っていうのは、当時従業員数3700人、関連会社が162社もあった。(当時はそんなこと考えもしなかったので、なぁ~んにも知らなかった)堅実経営で有名だったそうで、実際、中にいても、「生き馬の目を抜く総合商社」なんて感じは全く無く、それまで勤めていた銀行(それもまたのんびりした銀行だった)より、おっとりした雰囲気だった。
それが、従業員からみれば、突然、CI商事との合併が発表されたの。

といっても事実上の吸収合併でね、3700人のうちCI商事に行けるのは1000人ちょっとという厳しいもの。社員にとっては寝耳に水で、なんで石油部のミスでこの大会社がそんなことに・・・実感湧かなかったな~。部ごとの独立採算制みたいなかんじだったし。(当時の河本国務大臣とレバノン人の政商シャヒーンの口車に乗ったとか囁かれていた)

この時、会社には労働組合がなくてね。組合を作って、合併業務提携反対や、人員整理反対要求のため、ストライキまで打って頑張ったの。「全商社」(商社の組合連合みたいの)は加盟組合員全員、1万8千通もの署名運動やカンパを呼びかけて全面支援に取り組んでくれて、街頭で慣れないビラ配りしたりもしたの。商社マンとしての誇りがあるベテラン男性はさぞ辛かったと思う。 (赤旗という新聞にデモ中の私の写真が載せられていたのを、知り合いのお兄さんが見つけてコピーを送ってくれたことがあったっけ)
当時ジャカルタ経由でバリに行ったので、サリナにあったジャカルタ支社にビラを持って行ったわ。

当時としては大事件で、合併が不調に終われば国家的な問題になると新聞の一面を連日飾っていたしTVなどでも取り上げられていた。両親も見ては心配してたみたい。(おかげで、毎日お見合いして結婚退職しろと責められるハメに。これの方が辛かった~)


商社間では、混乱に乗じた引き抜きはしない紳士協定が結ばれ、表立っての動きは無かったけど、水面下では色々あったようだ。ウチの部長は部員4名でとS建設から引き合いがあったらしく、先方から欲しい人以外の部員の机の引き出しに希望退職届の用紙を入れるような奴で、課内にぴりぴりした雰囲気が漂っていた。
特に私の所属していた部にはロシア人とのハーフの部員が二人いて、当時のソ連通商代表部とは他商社より太い繋がりがあった。(これを商権と言うの)だから彼らを欲しい業界は山ほどあったわけ。部長は彼らと込みでどこかに納まりたかったのよね。ウチの部は業界4位だったし。

ところがどっこい、ソ連課という部には、やはりハーフの副部長がいて、彼とウチの副部長と彼ら二人、そして私で独立する計画を立てていたの。私は、いざとなったら最後まで居てCIに行ってもいいと思っていたのだけど、部長の汚いやり方を目の当たりにして、このままじゃ腹の虫が納まらないと思って参加することにしたの。(結局、ソ連課の副部長の裏切りなどがあって4名だけになってしまったのだけど)

結局、業界9位の老舗商社が73年の歴史に幕を閉じ、当時で三千億の商権が泡となったわけ。


この顛末は私達が独立後に取材を受けて週刊文春にシリーズの一部として載ったわ。d0009105_22592682.jpgd0009105_22595728.jpg
記事を書いたジャーナリストの上之郷さんには可愛がられて、文春のお部屋に何度か遊びに行き、テープおこしなどさせてもらい、知らない業界を垣間見るのは楽しかった。
その後、シリーズ記事は単行本「廃墟からの旅立ち」となり図書館で読んだ。(上之郷さんごめんなさい)
せっかくネットを始めたんだから、と先日探して30年ぶりに自分の物としたのでゆるしてくれるかな。(^^;)
その後、関西TVだったか宝塚TVだったかでドラマ化され、社長となった副部長役に若山富三郎、ハーフの二人のうち一人の役に蟇目良、も一人は桜木健一(?)みたいな役者、私の役は知らない女優がやって、内容もちょっと違ったものになっていて笑ってしまった。題はたしか「新たなる旅立ち」
[追記] これだわhttp://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-18244

そして、松本清張がこのA産業事件をテーマに『空(くう)の城』という小説を書いてね、それがNHKで「ザ・商社」というドラマになったの。夏目雅子が出ていてきれいだったなぁ...

社長一族が収集していた陶磁器や絵画がたくさん有り、「Aコレクション」って呼ばれてたほどのすごいものでね、今は、中之島にある大阪市立東洋陶磁美術館やブリジストン美術館に展示されてる。

A産業は芸術家の後援にも力を入れていて、基金を作って若い才能ある芸術家に奨学金を出したりしていた。今でもあるのかしら、銀座の老舗の画廊・月光荘。
色々なウワサのある画廊なんだけど、オーナーがピアニスト中村紘子の母親で、ハーフの二人の昔からの知り合い。(ロシアがらみだから彼女もソ連留学したのかな?母親のおもしろい逸話も沢山聞いたわ^^)
「空の城」が「ザ・商社」としてNHKでドラマ化されたとき、故夏目雅子がスリップ一枚でアップライトをガンガン弾くシーンがあった。彼女は商社員にかこわれている若手ピアニストという設定で「これ中村紘子がモデルらしい」という話まででていた。
日本ではクラシック音楽を専門的にやろうとしたらパトロンが必要だった時代がある。恐ろしく金がかかるものね。中村紘子もこのA産業のバックアップを受けていたんだって。


遠い昔のことだけど、今はドイツにいるジャンヌさんや私の人生の転機になった経験だったと思う。


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※昔のことだから書いちゃう。
A産業とは安宅産業こと。私が所属していたのは大手町の東京本社北洋材部。
なんと隣は元務めていた銀行の本店ビルだった。

☆その後のことは こちら









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by bumidayat | 2006-04-03 03:26 | Comments(8)

Commented by モッチャ at 2006-04-04 23:29 x
今日の記事、すごく面白かったです。ドラマや小説になったの、なるほどと思いました。この文章だけでも、波乱万丈の物語が想像され、息を詰めて一気に読みました。
sariさんて、文字通りドラマチックなすごい経験をされたのね。
Commented by sari at 2006-04-05 00:39 x
モッチャさん、読んでいて下さったんですね。ありがとうございます。
Commented by ジャンヌ at 2006-04-05 06:46 x
sariさん、さっそく読みにきましたよ。 今となってはなつかしい思い出です。私はsariさんのような正社員ではなかったのですが、かなり最後まで仕事してました。河口湖の湖畔にもA家の別荘があってクラシックカーのコレクションがズラ~と並べてあるのを見ました。「廃墟からの旅立ち」も読んだし、「ザ・商社」のヴィデオは保存版でちゃんと持ってますよ。
私が当時好きだった人もやめさせられたんですよ。今頃どうしていることやら・・・。
Commented by 猫田 at 2006-04-05 11:47 x
激動の中にいらっしゃったんですね。
今は幕末とか言われていますが、この時は商社が幕末状態だったんですね。
Commented by bumidayat at 2006-04-05 21:11
猫田さま、ほんの1~2年の間のことなんですけどね。いい経験だったのか悪い経験だったのか判りません。
Commented by ワンだ at 2006-04-05 21:37 x
おお、sariさんは日本の経済界の歴史に残る大事件の渦中にいたんですね~。
うーん凄い話だ!
役者さんが自分を演じる、なんてどんな感じなんだろうなぁ。
ここは違う、あそこも違う、別人じゃん、も~~ってなっちゃうのかすぃら。

Commented by bumidayat at 2006-04-05 21:58
ワンださん、その通りだすっ!
もちろん私より美人でしたが(ちょっぴりよ)
なんと同僚の一人と恋仲なの(爆
まあ、製作する側は盛り上げるためにはなんでもするよな~(気恥ずかしいよね)二人とも子持ちで家族ぐるみの同士なのにさ。
Commented by bumidayat at 2006-04-05 22:03
ジャンヌ様、そう、はるか昔のことなのに、鮮烈な印象として残る経験でしたね。会社が順調だったら、私達の人生ってどんなだったんでしょうか・・・

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