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市川へ行きました(長いメモ代わり。読まない方が^^;)

千葉県の西の端、市川市は勤務先が東京の「千葉[都]民」が多く住む市と言われる。
『西の鎌倉・東の市川』とも言われ、お寺などが多い落ち着いた街だそうなので、
以前から行ってみたいと思っていた。
市川市wiki
地図を検索しただけでも、史跡・寺社。学校がたくさん。
江戸川をはさんだ帝釈天などから見ても、川に沿った丘の緑がたっぷりで、楽しみ。

日曜は、曇りで雨は昼に少し、夕方から荒れ模様とのこと。
風は強いけど、日焼けしたくない・帽子はうっとおしい私にとっては絶好のお出かけ日和♪
このところ、引き籠り状態だったので、一日歩けるかしら、と思いつつ、
早番のS坊を送り出した午前7時半、出発。
プリンターが使えないので地図が打ち出せず、ちと不安・・・

目的地でたっぷり歩くので、バスで駅まで。さらに乗り継いで高砂駅前。
駅中のアートコーヒーで軽く朝食(うまうま♪)、
相変わらず運賃高い北総電鉄(?)で三つめの『北国分駅』まで。下に地図
江戸川を渡ったらトンネル、久しぶり。なんと『矢切り駅』は地下だった。
向かいから見ていた緑あふれる丘のような山のようなところを潜ったのか?

北国分駅から最終目的の京成線『国府台』を目指して歩き始める。
まずは、『市川市立歴史博物館』と『考古博物館』
新しい街らしく、数少ないお店も道路もきれい。
道幅が広く連休最終日のせいか人気がまばら。(早い時間のせい?)
駅近くのせいか家は少なく、色抑えめのスーパーとか巨大な施設が多い。
500mくらい歩いたところにスポーツジムがあったので道を聞いたら、
脇の土手の小さな階段を下りると早いとのこと。
雑木林が帯のようになった階段の上からは、かなり深い谷のような感じ。
やはりここは川向こうから見える山の上に位置しているのかも。
降りると住宅街。古いけど堂々としたお家が多い。

市立博物館の前で、何やらちらしを渡された。
『2009 縄文体験フェスティバル 会場案内マップ』
なになに・・・ワークショップや模擬店などのイベントの中には、面白そうなものが並んでいるではありませぬか! 楽しみ楽しみ♪

開館したばかりで、まだ準備中のところもあるようだし、まずは中へ。
歴史博物館なので、市の成り立ちが順に展示してある。
河口と海の近くということもあり海辺の民の生活用具などがめずらしい。
昔の海苔船や加工風景は初めて見たけど大変そう。
山・海・大河と揃った千葉県は大昔から豊かな土地だったのね。
奈良時代から都が重要視していたのがよく分かる。
鎌倉時代、一旦落ち延びた頼朝軍団を助けた、うどん料亭の屏風絵が綺麗。
ストーリーがある屏風絵は面白い。

2階の特別展示では、県内にたーくさんある文学碑の写真展と拓本・表装の技法、
隣の部屋では昔のくらしコーナーで、昭和初期からの生活用具の展示。
子供のころ当時でも珍しかったので友人の家に見に行ったことのある、
らせん状コードつきの電気アイロンとかコテ、
うちにも短期しかなかった木製冷蔵庫、洗い張り用の板、お櫃用のジャー、これなどは今の個人の家には皆無でしょうね。
あまりに大昔のものだったり、東京には縁のない、囲炉裏とかの展示だと、なつかしいなんて思えないけど
これは私向きだったかも(笑

外へ出てみると、市長などが挨拶していた。横に居たおばあさんが教えてくれなければ知らん(笑
すでにかなりの人で賑わっている。
広場中央では盛大な焚火に数個の縄文土器が設えてあり(なんと火焔型もある。あれ祭祀用じゃなかった?)、
なにやらスープのようなものがグツグツ。
その他模擬店、子供に人気のグランドゴルフ、ボーイスカウトなどなど楽しそう。

小山を登り、『考古博物館』へ。
足元は、なんと! 貝です!! 踏みしだかれて白っぽい、貝です!!
うほほ~、すごいなぁ。この山、全部が貝なんだ。
それもそのはず、二つの博物館、貝塚の脇にあるんです。 『堀之内貝塚』
ここ
塚なんてものじゃない、貝で出来た山! なんか感動してしまった・・・
ここも丘のような土地だから見晴らしがとてもいい。大昔は海が迫っていたのを実感できる。
頂上には昔作られたお社もある。この地には昔、城があり悲惨な落城伝説もあるそうだ。
120×240m位の大きさの貝塚だそうだけど、倍サイズの日本一の規模という曽谷貝塚っていかばかりかと思う。
徒歩でも行けそうな場所にあるから、次回頑張ってみようか。

考古博物館の前では、鹿の角で輪投げ、縄文弓矢で的当て、火熾し。中では土器作り、拓本採り、そして勾玉・角牙細工。
うふふ、やってみましたとも、勾玉作り♪
短時間でやっつけようとするので、なかなか難しい・・・(汗)
隣の子連れでやっていた奥さん、ずいぶん長い時間かけているので、いい形!
私のは、先生さま曰く「縄文後期の(くの字型勾玉)」だそうで(^^;)
パンフ見せてくれましたが、そっくり(笑)、当時でもあまりうまくない人がいたのか(爆
仕上げ用の紙やすり2枚・皮のコード付きで300円也。
専用砥石も欲しかった(笑
体験部屋は、博物館の作業部屋で、補修中の土器などが並んでいて面白い。牙細工もしてみたかったな。

中の見学。
吹き抜けのホールには、高さを利用して千葉県沖の海底の地層がそのまま展示。
古生代からの歴史が順に展示されています。縄文時代の甕棺の巨大さにはびっくり!
貝塚は被葬地でもあり、ゴミ捨て場ではなかったそうで、知らなかった~。
出土する頭蓋骨の虫歯は、現代人とほとんど同じで、豊かな土地柄というのがよく分かるそうだ。
小さい博物館だけどなかなか充実(^^)
去年、おゆみ野ニュータウン開発に伴って出土した多数の土器・埴輪・装身具とか、マンション開発に伴って見つかった古墳110のうち、45だかを残したとか。
意外にも千葉県の古墳数は日本で1・2を争うそう。サイズは小さいけどね。

戻って模擬店でたこ焼き獲得し、縄文スープ・皮つきジャガイモとベーコン入りで休憩。
だしも何も入ってなくても美味しい♪
小雨がパラパラ、めげずにもぐもぐ(^o^)v

12時をまわってしまったので出発。
『じゅん菜池』へ向かうため、博物館の丘の脇を降りると、水のない川のようなくぼみ沿いにフェンスが連なり、護岸の補修でもしているのかと思ったら、「東京外環自動車道の工事のための文化財調査のため」とかの土手を固めてるとかなんとか・・・本当にそうなのか、普通の工事のように見えるけど(^^;)
この外環ルートについては以前読んだことがあるの。 これ
なんだかな~、利用する人は便利になるんだけど複雑よね。
どこでも、掘ったら必ず何か出る、自然は絶対に破壊されると分かっていてもしなくてはならない理由ってのは、土地の人にとっては納得できないのは無理もないし・・・

お日様ぴーかんになってきたので日傘代わりに傘でもさそうかと思ったけど、道を尋ねた上品なおばあさん連れの奥さま、「途中までご一緒に」との言葉に甘え一緒に歩く。
鼻と頬がじりじり焼ける(^^;)
水のない川の様なところを渡り、坂道を上がると道が広くて両側には豪邸ばかり並んでいる。

町田の町並みに似ていますね、と言ったら「古いおうちは、お年寄りが、新しいおうちはやはり若い家族がお住まいですよ」
ま、当たり前なんですけど(笑)二代目・三代目もきちんと継げるだけの力があるのね。
おばあさまは妹が町田に住んでいると言ってたし、やはりお金持ちはそれなりの場所に集まるんだ(笑

立派なお宅の前で、「横長の公園なので、どこからも行けるけど、迷うといけないので遠回りだけど」と
教えてもらった急坂を下り、てくてく・・・
池が見えてきたら、「国分寺・国分尼寺はあちら」の看板が。
あり?てことは、予定していた池の端と逆の端に到着か・・・・どっしよっかな~、
ボーッとしながら池の畔の東屋で休憩。湖面の鴨がたくさん寄ってくる、ハトも数羽足元に^^
餌やりしている人がいるのね。博物館の模擬店で買っておいた、きなこ餅をちぎってハトにやってみた。
のどに詰まられもせず呑んでる(^^;)私も持参のお茶で一息。
長ぁ~い池の地図

この公園、いいわ~。ぐるりとひと周りしたかったけど、看板が気になって交番で聞いてみた。
予定表を見て、「こんなに回れないよー」、ほっとけ・・・
当初のルートの場所と、看板にあった国分寺跡では、池を抜ける分だけ遠くないという国分寺に向かう。
あのおまわりさん、どちらも知らず、地図を見て返事していたから怪しいな~と思いつつ・・・・
うーん、また山坂で辛い(;;)、それにしても豪邸ばかりで圧倒される。
「国分寺あちら」の看板があったので喜んだのもつかの間、
曲がりくねった急坂にはまいった。足痛い~!

ぜーぜー言いながらたどり着いた下総国分寺
立派な朱塗りの門で美しい。
最近直したのかしら、両袖で睨みを効かせている吽形阿形さまたちは昔のまま。
境内を進み、墓地の中に昔の塔や講堂、金堂の礎石や名板が。当時は広大な敷地だったんでしょうね。
千年以上前は、お寺の角度が15度ほどずれていたそうだけど、どうしてそんなことになっちゃうのかしらん。

お寺と同じくらいの巨木があるお宅が周囲にいくつかあった。元はお寺の敷地だったのか、などと素人は勝手なこと思いながら、お寺の脇を抜けて、国分尼寺跡へ。
辺りは広い畑がたーくさん。風が強くなってきたので土ほこりがひどい。
古くて立派な農家が点在している。そのうちのひとつの隣に、広くて何もない公園があり、名板があった。
なになに、ここは隣の農家がマンション建設のために調査をしたら、国分寺の跡が出てきたとか。
地主はすっぱりマンション建設をやめ、土地を市に寄付したんですって。えらいね^^
さらに近辺も調査するとか。裏はまた広い竹林だし、何か出るかも。
でもそうそう寄付はしていられないだろうね(^^;

また雨パラパラ・強風の中、とぼとぼと歩く。あまり人が居ないな~・・・
たどりついた下総国分尼寺跡は、公園になっていた。30cmほど高くなった15m四方くらいの場所に大きな礎石が4つ。
脇に光堂跡の四角形の跡。ここも隣の空き地状態のところも敷地だったみたいで市の土地となっている。
二度目に道を尋ねた農家のおばさん、「国分尼寺?、あー尼寺のあとは公園よ」と言っていた。
「アマデラ」なんて言われると、最近まで尼さんがいたみたいに聞こえて面白かった。

ここのあたりは住宅と畑ばかりで目印がなくて、ムダにずるずると歩いてしまい、いささか疲れた。
畑の中に忽然と現れた和洋女子大の付属中学校、威容を誇ったてな~。

風も強くなってきたからバス乗っちゃおうかと、新聞販売店の親切なお兄ちゃん達のアドバイスに従い、坂道を降りる。
雑木林の合間に立派なお家が点在している。
バス通りの横は外環の工事が始まって、ちょっと荒れた感じ・・・
バスは25分くらい来ないようなので、どうせ4つ目の停留所だしと、また歩く。
須和田遺跡というところへ行きたかったんだけど、矢印看板はあれど見つからない。
聞いてみたら曲がってまた山道を登らねばならないとか。うーん、もう勘弁だな~(汗


では弘法寺(ぐほうじ)古墳へ行ってみよう、とタラタラ歩き、門前まで来たら、なんとっ!
山の上ではないのっ!!どこへ行っても坂だっ(;;)
せっかく来たんだから、と頑張る。急坂を踏ん張るが、うっそうと茂った木々が覆いかぶさるように迫って薄暗く、コワイぞ!!
頂上の境内や駐車場の明るさにホッとして、古墳見物。
ここ
脇の崖にかかった部分が崩落して縦半分くらいしか残っていないそうだ。というのも、小山のような林になっているので、よく分からん(笑
市の建てた史跡の表示の杭には、駐車場あちら、なんて看板が立て掛けてあって、お寺も大事にしているとは思えない。
まぁどこの古墳や富士講の上や傍らには神社やお寺が建っているから仕方ないのかも。
よほどの規模の史跡でないと、メリットないもんね。

お寺を抜けると医科歯科大の構内にある法皇塚古墳(これ見ごたえありそう)に行けるんだけど、出口がふさがれていたのであきらめ、
さすがに足が痛くなってきたので、坂道の途中に発見した急な階段を降り、『真間の手古奈』の霊堂・井戸へ。
霊堂は意外に大きくて立派だった。
しかし、大昔は足立の毛長姫といい、モテすぎて自殺した娘の多いこと!
彼女のことは、万葉集
真間の手古奈・赤人の他たくさん詠まれてる

豪邸が並ぶ真間川沿いを歩いて、江戸川の土手に出て川面を眺める。
雨風が強くなってきて傘がさせないけど、川向うの東京側を見るのも、また乙なもの♪
突き当たった『国府台』(こうのだい)駅から京成線で4つ目・青砥駅まで。
最寄り駅までバスで帰る。

次回は、行きそびれた、明戸古墳・総寧寺・国府城址・主戦場跡・法皇塚古墳・下総総社跡へ行くぞ!
今度はほとんどかたまってあるので楽勝だわ(^^)

10時間くらいの旅でした。いやはやよく歩いた! 予定では6kmくらいだったんだけど、食事、休憩、勾玉作りを引いたら、何キロくらいだったんだろう、ムダ歩きが多かったから、もっと歩いたかもね(^^;)
でも楽しかった♪

たまにドドッと歩くだけでは体に、かえって悪そうね(^^;)

なーんか、一部分がすっぽり抜けてる! どーして!???

by bumidayat | 2009-03-26 15:38 | お出かけ | Comments(0)