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懸賞 懸賞

古代からの衣服(着物)と座り方

懸賞 2009年 09月 28日 懸賞

【別記事"古代の洗濯"に連動して】


以前から、着物を着るのは大変だと思っていました。
友禅染教室にちょっとばかり通ったり、着付け教室で免許も取ったけど、
体型も変わってしまい、売るほど持っている着物は着ることも出来ず、
もう30年も仕舞い込んだまま。カビているのではないかと(++;)、
中には一度も袖を通してないものもあるのに(;;)

それで、身丈で仕立て、八つ口もなく、細帯を結ぶだけの小袖はいいな~と思い、
PCを使うようになってから、小袖を扱ったり着ている人はいないのかと探してみましたが、ヒットしたのはたった一軒の呉服屋さんのご主人のサイトだけでした。
以来、時々検索しているのですが、全く増えない(笑

なぜ現代の着物はあんな形で、何故一人では扱いきれないような帯結びなのか、
ちょっと調べてみました。

☆まず、【小袖】とは、
*袖小さく、丸み大きく、八つ口なしの付け詰め(開口部なし)、
*身幅ごく大きい(袴や裳=スカートを穿いていた奈良時代の名残り・あぐらや立て膝座りのため前がはだけないように)
*ヒモ状の帯を使用。(前がはだけ易いので、そのためにも深い打ち合わせの身幅の大きいものが必要)
*おはしょりが無い、身長に合わせた身丈。
*裾回しがない裁ち切り仕立て。
*奈良時代からあり、民間はこれだけ着用。貴族は下着として用いた(袍・狩衣など袖下が縫われていない広袖のため、冬は防寒のため袖と脇が付け詰めの小袖が必要であった)

☆平安末期から鎌倉時代にかけて、戦い・移動など人々の行動範囲が広くなり、
実利性から下着以外にも貴族や武士に浸透。
室町時代に至り、上流階級にも定着。

☆長い間続いた応仁の乱以降、社会全体が疲弊、衣料も欠乏し(ついでに儀式のやり方も忘れられた)男性も女性も袴を穿かなくなる。
江戸時代まで、男性は正式な場所への外出は袴を着用したが、女性は町方・武家ともに着流し状態。
(逆に明治時代になり「女袴」というのが登場)

☆江戸初期(元禄時代)、町人の経済力が武家にとってかわる。
袴や裳を付けない着流し状態だと着物全体が見える→大胆な柄が好まれる→柄の部分が多い方がいい→袖が大きくなる→装飾的な帯が求められ幅が広くなる→結びにくい→身八つ口登場。
帯はまだ実用性を重視され、結び目は小さく、前でも横でも自由に結んだ。

☆歌舞伎の女形が「吉弥結び」を発表すると大流行し、装飾的な結び方を競うようになる。
前や横では邪魔ということもあり、後ろで結ぶ以外考えられなくなった。

☆帯とのバランスを保つため、身丈は長く引き摺るまでになり、外出するときは
褄を取って歩くかシゴキで帯の下をからげないと歩けない。→おはしょり誕生
だから、帯を結んだあとで、おはしょりを作り、帰宅すると外すので家の中ではズルズルと引き摺って生活する。

☆明治時代の女性の写真を見ると、ゆるゆるですよね(笑
帯の上、上半身はギャザー取りまくりで着るから、襟はあまり重なっておらずVネックのよう。
下半身は、お尻の部分はギャザーでぶくっとして、打ち合わせは深く、右脇までたっぷり重なっています。
おはしょりも後で作るので、人によって分量も幅もまちまち。
内側の始末もしないからプクプクしています。華族のお姫様の写真を見てもそうです。

☆その後のことは、まぁ私にとっては最近のことなので(笑
ただ、喪服や黒留袖については戦後になってから庶民には定着したそうで、当時は不祝儀にも裾模様のある留袖を着用することもあったそうです。非日常の場に着るものとして始まったのかも知れません。
葬儀には白い着物を使う地方もあるそうですし。
たかだか70年くらいの間に、葬儀のマナーやらなんやらをメーカーやマスコミに決めつけられて窮屈なことです。


先日の疑問「古代の洗濯の仕方」ここよに続き、「古代からの女性の座り方」が疑問でした。
現在の『正座』、こんなに不自然で体に悪い座り方を日常的にしている国って他にはないと思います。
そう思っていたところ、小袖の身幅のところで、あぐら・立て膝のためと出てきたもので、さっそく(笑
PCのおかげで、付け焼刃ではありますが、浅いけれども雑学が増えて嬉しいです^^


*9世紀の終わり(平安時代)に描かれた『神功皇后像』=片膝立て
*平清盛の娘・建礼門院徳子像=あぐら
*粉河寺縁起絵巻の長者の家の侍女=片膝立て
*中世前期(鎌倉時代)の北条政子像=尼姿であぐら
*一遍聖絵巻の女主人=片膝立て(庶民に近い人もそうだと分かる)
*中世前期(室町・戦国時代)の日野富子像=あぐら
*七十一番職人歌合わせの麹売り=片膝立て・心太売り=あぐら(全くの庶民もそうだと分かる)
*戦国時代以降の、観楓図屏風のもみじ見物の女たち=片膝立て
        秀吉の正室・おね像=片膝立て

☆室町時代から、茶の湯・神前・仏前など礼拝とか特別な儀式の時だけ正座(畳のおかげ)

☆武士に正座が広まったのは、八代将軍吉宗の時代。謁見する大名の間で正座の様式が取り入れられる。
(以来現在まで約400年)
☆庶民に正座が広まったのは文明開化以降。
(以来現在まで約100年)
☆戦前、修身の教科書の中で、正座という言葉が使われる。それまでは端座とか言っていた。
(以来現在まで約70年)←それっぽっち!!

畳は奈良時代は寝るためや謁見のため、一畳を移動して使ったりするのがずっと続き、
庶民が全室に敷き詰められるようになったのは、割に最近のことなんですね。
板の間に長く正座するわけには行かず、あぐらや立て膝で座るためには、それに合った衣服が必要だし。
生活文化って全てに繋がりがあるんですね。
だから古墳時代(土とか藁?)はもちろん、古代(良くて板敷き・石敷き)だって正座はしてないはず。
痛いもの(汗
古代の貴族階級は椅子・テーブルの時代ですけどね。もちろん彼らだって普段はあぐらや立て膝だわ(笑
そうすると今度は靴や沓・草履も気になる(爆



☆☆以下MIXI・マイミクさんのコメントより
*
正座に関しては、利休の茶室により普及したと言う伝説がありますが
極端に狭い茶室は密談に最適と言う事もあって戦国大名に好評でしたが、胡坐で座れるほど広くありませんでしたから

袴の起源はズボンもそうですが、騎馬民族だとか?
内太ももをカバーしないと長時間の乗馬は出来ませんから
ほんの数百年前までは鎧を着た騎兵って現在の戦車みたいなものでしたから、乗馬と共にズボン(はかま)はユーラシア大陸を席巻したそうです

沓は貴族で草鞋は武家以下の階級の履物でしたよね
下駄は長時間歩くのには向いていないので(木製の沓を履いている貴族も歩きませんし)、草鞋は長時間歩かねばならない人の履物でした
信じがたい話ですが、武士は戦場では草鞋でした
足を怪我しそうですが、歩きやすさを優先です
一本足の高下駄は実は山歩きように開発されたもの(天狗が履いている下駄です)
慣れが必要ですが、坂道では歩きやすく、岩等で足の裏を怪我をする事もありませんから


*畳一畳を移動して使っていたというのも、
なんかゲンダイがまさにそれっぽいではないかと
可笑しい感じです^^









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by bumidayat | 2009-09-28 02:51 | 好きなもの

古代の洗濯

懸賞 2009年 09月 27日 懸賞

☆古代は洗濯はどうしていたのか気になり、検索してみた。
桶やタライを使うようになったのは平安時代だそうだから、
それ以前の奈良時代などは、やはり川や泉で洗うしかなかったんだろね。
叩き洗いや踏み洗い?、冬は煮洗いかも・・・
洗濯する者にとって、タライは画期的なものね♪

正倉院に残された書物類の中に、宝物の仕分けなどのために働いていた
今で言う下っ端公務員の出勤簿には、洗濯休暇願いのようなものがあるそうだから
(ついでに、地方から集められ、かなり長時間、長期間の籠りきり勤務だったのが分かった)
相当長い間、着たきりだったんだろう。宝物殿はけっこう臭かったかも(^^;)

貴族階級やそれ以上の人は絹物が多かっただろうから、洗い張りをしていたのかしら。
まぁ香など焚いちゃって誤魔化し、たまにしか洗濯って出来なかったでしょうね。
下賜して新しいのを着ていたのでしょう。

洗剤としては、ムクロジ(羽子板の羽の先の玉っこ)、夾竹桃、などが使われていたそうでサポニンが効果があるのが分かっていたのね。
ポンペイや韓国の水場の遺跡では、おしっこの成分が検出されたそうだから、アンモニアも洗浄効果があると知っていたんでしょう、韓国でということは日本でも使用されていたのかも。

遺跡発掘では建物の跡などが分かるけど、そこで具体的に何をしていたかは分かり難い。そこで
万葉集とか文学的に研究者と連系して調べると人が何をしていたか分かってくるそうだ。
学者も横の繋がりが大切だね^^
特に歌には人を詠んだものが多いから着るもの食べるもの等の風俗から、遺物や遺跡が何に使われていたのか分かるそうだ。
川で洗濯中の乙女を、狩の途中に若い天皇が見染めて召しだす、なんて詠から川の傍の遺跡の水場跡が妙にただっ広いわけとか・・・

☆平城京で寺の力が強くなりすぎて閉口していた桓武天皇は、平安京には全く寺を作らなかったそうだ。
だから築京以前からあった寺以外は皆無で、現在ある多数の寺は全て鎌倉時代以降に作られたんですって。
京都と言えば、寺ってぐらいなじんでいるものな~。でも千年の都の歴史の中では、あそこにある寺々は新しいわけだ(笑
まぁ歴代の天皇は権力を手に入れる道具として、神や仏を利用していた部分もあるから、その時代時代で残っている建物って違うわけだし・・・うーん知らなかったことばかり、と言うより学校で習ったことを忘れ却っているのだな(^^;)


Mixi マイミクMさんのコメント
うーん、知らなかったことばかり!
古代の洗濯法だなんて、そういうのを歴史で教えれば、さぞかし面白いでしょうにね。
平均点も上がるというものです。
しかし、いくらお香をたきしめても、平安貴族は臭かったろうな~。
源氏の君も臭かったに違いない。(笑)
洗濯とは関係ありませんが、歌に詠まれた「風俗」というので真っ先に思い出したのが

家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る

有間皇子のこの歌です。

「笥」とは何なのか、椎の葉に盛ったご飯をどうしたのか、そこら辺の考察、解明から当時の風俗や習慣がわかるし、ひいては詠み手のおかれた状況や心情もよりよくわかるんですよね。
文学の役割は?なんて、学生時代に考えたこともありましたが(つまり大して生活の役には立たないと)こうして考えると、単なる心の潤い以外にも、文学には役割があるんだな、と思えます。
学問というのは、分野によらず計り知れないものですね。

Mさん、
他にもね~、面白いこといっぱいです。
奈良時代の上流階級の女性は身動きしやすいファッションだったから、なかなか行動的であったでしょうけど(故に天皇になったりも出来たって考えると面白い)、
平安時代の十二単なんてなると、重いし引き摺らなくちゃ動けない。
だからほとんど立ち上がらず、いざって移動。→足が萎える→夜這い拒めず。いや矢印からの部分は私の想像です(笑
そんなだから、身の周りは全て雇い人がするわけで、親が死んだり家が没落したり、良いダンナが見つからない場合は、餓死したり「貴族の姫じゃ」を売り物に身を落とすしかないという状態が多かったとかそうです。

鎌倉時代くらいまで、ほとんどの庶民は竪穴式住居で素焼きの土器のような器で食事してたとか。
平安時代に生まれていたら、十二単が重いから嫌だわ~なんて言うけど、
他の理由でどの時代でも生まれ変わるのは嫌だわ(笑
まぁどの時代に生まれていても、才能と才覚がなければ生き残れないってのは同じかも知れませんけどね。

マイミクMTさん
 平安貴族と言えば実務をすべて他人に任せて権力争いに始終していた連中ですから
恋を重視していたのも、天皇の外戚という地位が唯一の権力と権威のより所
霊的な神聖さが力のより所ですから、霊性と武力を兼ね備える寺社に対抗できず、賽の目と荒法師は思うとおりにならないと嘆させました
正規軍は存在せず、警察にあたる検非違使は無能にして武器を持った者に対しては非力…
武装した寺院に対して本格的に対抗する力は、戦国期の織田信長の登場を待たなくてはなりませんでした
というのが私のならった歴史…
洗濯は「ポルトガル人がシャボンを伝えた」と習うまで出てこなかったように記憶しています
洗濯板っていつ頃登場したんでしょうね

MTさん、 男らしい興味のあり方というか、記憶の残り方か?
いや、MTさんのことだから、全て覚えているんですね、失礼しました(笑

洗濯板は、

 春過ぎて夏来にけらし白妙の
          衣ほすてふ天の香具山

持統天皇の時代は、洗った後は、手近な草むら
や河原に、じかに広げて干していたと思われますね。
物干し竿は、平安末期に登場したらしいです。

『徒然草』には、踏み洗いする女性の白い脛に見とれて、神通力を失った法師の話が出てきますし、踏み洗いのあとは草むらに干された衣がひらひらしていたんでしょう。タライが登場するということは、庶民の着物が足ではなく手で洗えるくらい薄く柔らかくなってきたということですから、もみ洗いすることが増えたでしょうね。
使われていた器物が分かると、それを使って作業していた物が芋づる式に想像出来ます。

明治時代、洗濯板はポルトガル辺りから中国経由で伝えられたとかどこかに書いてありました。
石鹸とセットだったのかしら(笑

Mさん、 そうそう、笥のこと忘れていました。
昔、この歌を習ったとき、勝手に三方の上の部分のような板のお盆のようなものを想像していました。
箪笥のイメージからかしら(^^;
本当に護送される途中で詠んだ歌だったのでしょうか、やはり行かねばならぬ熊野古道だわね(笑

マイミクKさん
Sariさんの考察と皆さんのコメント読んで
へえ~へえ~と感心するばかり
洗濯というこんな日常からもいろいろ考えられるものなんですね
大変勉強になりました
これからも違った方面から考えて調べて教えてくださいませ
自分で調べないと覚えないといつもいわれるんですけれど
ちょいと面倒なので









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by bumidayat | 2009-09-27 19:15 | Comments(0)

ご招待で昇仙峡・16日(水)

懸賞 2009年 09月 17日 懸賞

なぜか、通販のベルーナから、日帰りバス旅行のご招待。
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昇仙峡は2度目に行ったのが30年くらい前だわ・・・
料理は期待できないけど、楽しみに行ってきました。

50人乗りのバスに30人ちょいで楽々。一人参加の人は隣が空いているので更に楽ちんでした♪
高速も順調♪ 休憩時間から戻るのも全員きっちりでスイスイでした^^

まず、お決まりのメ―カ―見物。名前もよく覚えていません(笑
きれいな会社の一室で宝石のお話を30分くらい。
バスの中で回答した宝石に関するクイズの答えと正解者の発表。全問正解だとネックレスがもらえたようです、残念(笑
ダイアナ妃がつけていたのと同じような、チョー高級ネックレスを着けてもらったお一人。
嬉しそうですね。連絡先を聞き忘れてしまいました。もし、ここをご覧になっていたらコメント欄でお知らせください。すみません。
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信玄公ゆかりの恵林寺の向かいの「信玄館」で昼食。
ここ
一階はお土産がたくさん売られていました。
正面のアイスクリーム屋さんで巨峰ソフトクリームを買いました。
売り場のお姉さんに持ってもらいパチリ。おいしかったです♪
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甲州市塩山の恵林寺ここ
杉の大木がたくさん! 大きなお寺でした。拝観コースもあるようでしたが時間がなく散策だけ。
桜の季節はまた良いそうですよ。

昇仙峡・仙我滝の流れ落ちる元? 分かりづらいね(^^;
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もっと分かりづらいか(汗)左から右下へ流れ落ちているんだけど(笑
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上の方が光っちゃったけど仙我滝。画像だと小さい滝に見えるけど落差30m。下に人間が居るとしたら5mmくらいかな?
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滝の長さ半分くらいまでは階段で。そのあとは遊歩道が続いています。
昔は下から上までずっと歩いて登ったのだけど、足腰が悪くなった今は、上から階段で滝だけ見ました。
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宝石・貴石のお土産屋さんが並んでいる中で、大きめのお店「鉱石ミュージアム」というのに入ってみました。
店内はとてもお洒落な感じ。裏は屋外工房(?)になっていて、広い敷地に石がたくさん!
奥には研磨機が並んでいます。地面に磨かれた石が山積みで量り売りのもありました(笑
HPを見たら、ここだけでも数店、白糸の滝の方にも違うイメージのお店を展開しているようです。見ていると面白くて、つい秤に乗せてしまいます(^^;)
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覚円峰=沢庵和尚の弟子・覚円が座禅を組んだ岩。
一枚岩で180mあるそうです。高層マンション並?
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MONDE酒造のワイナリーでワインの試飲とお土産物色
ここ日頃飲まない私でも、おいしいな~と思うのがあったのだけど、小瓶はアソート詰め合わせしかなかったのでパス(;;)

帰りの車内から。夕暮れの甲州市内。手前はみーんな、ぶどう畑。
高速走行中から撮るのって難しいね。すぐフェンスとか植栽で見えなくなっちゃうし・・・
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お土産
【信玄桃】信玄餅を買おうと思ったら、新製品? とても可愛らしいのでつい。やっくんのおめざコーナーで紹介されたそうですね。
ここ
【巨峰きらら】八ヶ岳高原のときに買っておいしかったのでまた♪
ここ
【ほうとう】
【乾燥しじみ】「こんなところで」と言いつつ、みなさん買ってました。試食の味噌汁がおいしかったもので(^^;)
海のないところは昔から海産物を乾燥させて運んだ名残でしょうか、乾燥しじみはしっかり元に戻り、生のようでした。桃などを水戻ししたのも試食しましたが、やはり生に近い缶詰のようなおいしさでした。
【甲斐路】
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いつもながら宝石屋で用がないので早く出てきてしまい、辺りを散歩。
周囲は大きな会社ばかりで何もない・・・テレビ山梨とか消防署とか(^^;
30分以上時間があるので、暑い日差しの中てくてくと行くと、小さな八百屋さんがありました。
さすが山梨!! 多種のぶどうがたくさん!!!  せっかく甲州に来たのだから「甲斐路」を。
一房230円也。昇仙峡のお土産屋さんも、うちの近所のスーパーも480円とか500円くらいでしたラッキー♪
極甘のうまうまです、皮ごと食べられます(^o^)v
【茗荷】八百屋さんで、小粒のが大袋入りで安かったものでつい(笑

*行きの車窓から見えたのですが、トラックの運転手がハンドルの上に漫画本を開いて置いたまま運転していました。
それも2台・・・あの短時間で2台ということは、もっと居るんでしょうね。高速道路ですよ~! 怖いなぁ(-"-)

☆=昇仙峡この辺

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by bumidayat | 2009-09-17 13:11 | Comments(0)