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懸賞 懸賞

痛みとれず

懸賞 2009年 11月 14日 懸賞

「扁桃腺炎」と書きましたが、

「亜急性壊死性リンパ節炎」ではないかと思っています。

のどの痛みが全くなく、耳鼻科で頂いた薬がほとんど効きませんでした。

翌日は耳鼻科の休診日。

熱は下がらず、激しい頭痛と耳下の痛みに耐えられず、ネットで検索したら、

「亜急性・・・」の闘病記ブログを書かれている方々の症状にピッタリ。

みなさん入院なさっています。

怖くなり、検索したところ、隣町に血液内科のある病院を発見して行きました。



ところがネット情報が間違っていたのか、普通の内科しかありませんでした(涙)

おまけに混んでいて午後の診療というとで、5時間待ちました。

(大雨の中、激しい痛みのまま帰りたくなかったので)

血液検査の結果は、「特別な異常はなし」。

でも普通の検査なので、ウイルスや炎症に関する項目はないんです。

とりあえず、耳鼻科でもらった薬を全部飲んで様子を見るように言われて帰宅。



一日2回の薬は、飲んで一時間後から一応効き始め、完全ではありませんが痛みは収まりますが

5時間ほどで効果が切れてしまい、また激痛が襲ってきます。

6時間おきに飲んでしまいました。痛みが治まっている時間が唯一の睡眠時間です。

また痛みが襲って目を覚ます、の繰り返し。家事は全く出来ませんが、唸りながらS坊のお弁当を作りました。

解凍した冷凍ものを詰めるだけですが(++;)、それも二日だけでS坊はきのうから二日の連休ですので助かりました。


薬が終わったので、きのうまた耳鼻科へ。

亜急性・・・のことを医師に尋ねましたが、認めてはくれませんでした。

そうですよね、素人の一患者の言う事なんか・・・

「10万人に一人の病気だし」って・・・私がその一人だったらどーしてくれるの? !

と思いましたが、「前回より強い薬を出すので、飲み終わったら治ります」と断言するので

とにかく飲んでます。

今回は一日3回ですが、7時間くらいで切れるようです。

夕食後に飲むと、次は朝食後ですから約12時間、またずれますが痛みが出始めたら飲んでしまいます。

飲んでも時々チリチリと痛いときがありますが、前回の薬より効くようです。

長めに寝られるようになりました。



亜急性・・・の場合でも、対症療法しかなく、抗生剤や抗炎症剤は効果がないのでステロイドを使うそうです。

とりあえず、この薬で様子を見て、また考えようと思っています。

でも、このコース、ネットで読んだ方のお一人と同じなんですよね(-。-;)
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by bumidayat | 2009-11-14 14:45 | PKD・体のこと

扁桃腺炎?? 11月10日

懸賞 2009年 11月 11日 懸賞

きのうの午前中から、左耳の下が痛くて痛くて。
リンパ線が腫れたか? なら風邪の始まりかと、朝・昼と風邪薬を飲み、
出掛けずに昼寝をしました。

夕方起きたら、右頭頂部が痛~い !
耳の下も頭も、波のように痛みが襲ってきて、うめき声が出てしまい、猫どもがびっくり(汗

それでも仕方なく、夕飯の準備をし、食後にまた薬を飲んだのだけど
ちっとも治まらない。
それどころかもっと痛い
うーん、うーん、と言いつつ、ウタタネを繰り返しながら朝を迎えました。
耳下線炎か?と検索したら、おたふく風邪以外に、なんとか耳下線炎てのもあり、ちょっと該当する。やはり耳鼻科かなぁ~・・・
S坊、仕事疲れでグースカです。まぁ何の役にも立たないから別にいいんですけど(笑

猫に朝ご飯をやり終え、食べた方がいいのかと私も焼きそばなんぞを食べたら、耳の下のほうが少し楽になったので、
これは寝た方がいいのか?と、またポテッと横に。

目が覚めたら午後3時でした。その間、S坊が私のPCのメモリを増量しておいてくれました。ありがたや・・・

夕方、内科にしようか迷ったのけど、久々に耳鼻科へ。
ここの先生方、私の店のキーマカレーのファンだったのです^^
アレルギー性鼻炎と難聴でもお世話になっていた医院で、いつも混んでいるので覚悟していったのだけど、閉め際だったせいか15分待ちで診てもらえました。

扁桃腺炎だそうで、喉も左側が腫れ、鼻も左が詰まり気味。
体の左が弱いみたいね、との事。
足も左が悪いしなぁ・・・

4日分の薬をもらいました。
巣オード・瓦斯ロン・盃ペン・盗らんさ珉・汁テック・コールテック(笑
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by bumidayat | 2009-11-11 02:42 | PKD・体のこと

私の30代・40代

懸賞 2009年 11月 09日 懸賞

日テレの「みやね屋」や午前中のスポットニース等で見る、丸岡いずみさん、
38才ですってね。きれいだな~、特にみやね屋の時は照明さんやカメラマンがファンなのか、ことの他美しく映ってる。
北海道では、女子アナ3人組みたいな扱いで仕事させられていたけど、
「女子アナではなくて、アナウンサーでいたい」と辞めてどこかの試験を受けて、今に至ると聞きました。
そんな根性のある人がいることは嬉しい限りだけど、若いよなぁ~・・・


私の30代って、覚えていられないほど忙しかった。
私が10代のころから具合の良くなかったかった母が、ぐんと悪くなり、入退院を繰り返すので、しょっちゅう実家に戻ってた。
 母の心臓ペースカー埋め込み・大腸ガン手術・手首骨折・日々の腎臓の食事療法、父の大腿骨骨折で入院泊り込み・・・
 40代に入ってからは母の透析通いの付き添い、葬儀、祖母の入院と葬儀、家の立ちのき・父の二度の引っ越し、父のガン闘病と葬儀・・・もう書ききれない。

救急車とお友達でしたね^^;、
その間、我が家では、パン粘土教室のため義母が週に一日・ピアノ教室のため義妹が週3日・管理組合理事長だった義父が月一日、うちに来ていました。みんな長話の長っ尻で、夕食食べて夜遅くまで (泣

そして合間にバイト(汗
気付いたら10kg以上太っている自分がいました
ある日、バイトのあと夕食の買い物して、病院へ寄り母の洗濯物を持ち、やっと座れた地下鉄の中でウトウトしていたら、元の会社の人に声を掛けられて恥ずかしかった。
メイクしなくなって何年?、 髪振り乱して大きなスーパーの袋を抱えて居眠りする私をどう思ったでしょう(悲

慶応病院、榊原病院、河北病院、東海大病院、女子医大病院、佼成病院、
まだまだある・・・


自分の日常はほとんど覚えてないけど、父母のことでは忘れられない事があるわ。
 父の病院に妹と交代で泊まり、自宅の母の透析の付き添い、食事療法なども交代でしていた時期。
私が病院に泊り込みだったある日、妹から「お母さんが居ないっ!、カギも掛かっていなくて、布団が乱れて・・・」と電話。
 慌てて帰ってみると、布団は冷たいし置手紙もない。
母は一人で歩くのも覚束ないけど、一応近所を探して見ましたがいない、どうしたんだろうと二人で茫然。
世をはかなんで自殺?とまで考えました
・・・
 一時間ほど経って消防署から電話。母は立ち上がろうとして布団に足を取られて転び、手首を骨折したそうで迎えに来て欲しいとの事。
 駅北口の外科病院に救急車で運ばれたのですが(なんと父の入院先で私もサイレンを聞いてました)、

そこで透析患者は診られないと断られ、慶応病院に運ばれたそうです。
 通常は救急隊がメモを残して戸締りの確認もして行くそうですが、
ペースメーカー入れた透析患者が骨折、って、救急隊も慌てるでしょう(笑
   肝をつぶした長い夜でした。

母は心臓だけで5つも病名がついていましたが、ペースメーカーを入れるにあたっての再検査で原因不明の症状があり、説明を妹と二人で聞きました。
 父は気の弱い人で、その前の検査結果を聞いたときに気分が悪くなって倒れそうになり、大腸ガンの時も摘出した患部を見せられた時も青くなっていました。
 医者曰く「専門外なのではっきりとは分からないが、脳幹のガンがあるかも知れない」さすがにその時は私も妹も血の気が失せました。

退院後の検査で無いことが分かったのですが、その後しばらくしてお腹が痛いし便秘がひどいと言うので検査したら、大腸ガンが見つかりました。
 外科らしく威勢のいい名医に執刀してもらえたのですが、その時「腎臓が奇形で、肥大しているので大腸を押すので、おかげで発見出来て良かった」と言われました。
「ーー奇形・・・そうか」と思っただけでした。

ペースメーカーのおかげで、八畳間の端に寝て居ても、入り口にいる私に乱れた鼓動が聞こえたり、突然途絶えたりする、とんでもない不整脈はなくなりましたが、相変わらず血圧は高く、目の血管が切れたり、血圧280なんて時もありました。
 昔は一晩中、鼻血が止まらなかったりしていたので楽にはなった、と本人は言ってましたが、さらに検査をしたら、なんと遺伝性の腎臓病でした。
 通常は親が具合が悪くなるので早くに見つかるそうですが、遺伝の元は母の父親だったのです。
母が赤ん坊の頃に祖父母が離婚していて分からなかったんです。

外科の名医も心臓の名医も、専門外のことは良く分からないものだな・・・
もっと早くに分かっていれば、心臓・高血圧も腎臓が原因ですので、ここまで悪くならなかったと思います。
遺伝の確率は、4:5。私も遺伝していました。子供いなくて良かったわ。

私は苦労が少ないせいか(笑)、少し血圧が高い程度でまだ大丈夫みたいです。
半年に一回検査をするように言われていますが、検査したって治るわけでもなし、普段の生活に注意して自覚症状が出たらしようと思っています。
 母方の女性は、みんな90才以上の長生きなのですが、母は64才で亡くなりました。
私もそのくらいだろうと思っていましたが、他に病気がなかったら、も少し行けそうな気が。
 なので老後の資金は圧倒的に不足です。予定が狂った。

父母のことが終わったら、私は再就職は不可能に近い年齢になっていました。
(それもあり店を始めましたが、却って資金は減りました。 でもお友達が増えたし楽しかったです)

親の看護は大事です。
あ~、それにしても健康はもちろん、女性は美の面でも30代・40代のお手入れが大切だと、つくづく思う今日この頃・・・


*他にも、ブログに書いたけど、父の誤診、最終的に栄養点滴の管を外すかの選択(餓死させるか、ガン死を待つか)、
母のとんでもなく厳しい、食事療法の計算など、苦しい事が沢山ありました。
それもこれも、良くなるなら甲斐もありましたけど、本人も辛かったと思います。
一生懸命に介護・看護していた人は、亡くなられると、本当に残念だと思っていることでしょうね。
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by bumidayat | 2009-11-09 17:52 | PKD・体のこと | Comments(0)