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懸賞 懸賞

元旦 東国三社巡り 成田山新勝寺とまとめ ❹ 終

懸賞 2017年 01月 24日 懸賞

バスの集合時間に誰も遅れることなく、乗客に関しては無問題で、二社の参拝は済みました。

ANAクラウンプラザホテル成田でランチバイキング
ここクリック
 全面ガラスの明るいレストランでした。料理はおいしく、デザートはミニサイズで色々なものが楽しめました。飲み物はまあ普通(笑)
ツアーのセミタイトルに「お一人様一つ付き」と謳っていた「ミニ・フォアグラ丼」が、刺身の醤油入れのような、ぐい飲みサイズで笑ってしまった。夫婦して肥大したレバーはあまり好きではないのですが、無理やりS坊に二つ食べてもらいました。
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成田山新勝寺へ。境内図
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これがまあ前回1月に来たとき同様に、駐車場に入るのに渋滞しちゃって…
やっとのことで降りましたが、元旦のせいか、入山するのに行列していました。それも表裏参道ともずーーーーーーーっと。          
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ここは表、裏ともに参道が細いうえ、一旦谷底に降りるような処なんですよね。
そして山門には長い階段…
 参道の両側にはびっしりお土産屋さんや飲食店が並んでいるんです。
前々回は真夏で個人で来ましたので、ぶらぶらと参道を降りながらお土産屋さんをひやかしたり、名物のうなぎを堪能したのですが、参道はどちらも歩くことが出来ない…最後尾にも到達しない(笑)
空いていたらこんな感じd0009105_7431554.jpg d0009105_7435971.jpg








並んだとしても、お参り出来るのは、4時間くらいかかるのでは? 前回初詣したから勘弁してもらおうと(毎年するのが初詣ですけどね^^;)
ホテルランチしたばかりだから、うなぎ買いましょう・・・行列に逆らい迷惑がられながら、坂を登りましたが、鰻屋さん探すどころではない、見えない・・・ではお茶でも…人を掻き分けて何店か見ましたが、いずこも満員。

もう足が痛くて、坂を降りてバスで時間をつぶそうと・・・
           ・・・・・・バス、カギかかってました (;゚Д゚)
そこで向いの信徒会館へ行き、お茶のお接待を受け、ほっと一息^o^
ありがとうございました!!
        信徒会館d0009105_7461686.jpg











    毎年TVでやるけど、
豆撒きの日もまたこんなに混むんだろね。海老蔵はじめ芸能人たくさんだし。


バス出発。添乗員のお兄さん、「時間が押しているので、これから行く、さくらの山公園は車内からの見学とします」えーーーっ!!
飛行機のお腹見るのを楽しみにしていたのに、空の駅で買い物も楽しみにしていたのに…

こんなのを見るはずだったのに。yotubeクリック


             
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さくらの山公園http://guide.travel.co.jp/article/8578/

          空の駅さくら館ここクリック


公園の駐車場に5分ほど停車して、たった一機をぼんやり眺め、バス出発。
帰り道も順調で、「時間が押して」いるはずだったのに、予定より40分も早く着きました。なんなの…

☆☆☆若い添乗員のお兄さん、すんごい早口で、マイクに口を近づけ過ぎで、何を言っているのか皆目分からず、S坊に聞いても「多分○○だろ」とか、集合時間は何と言ったの「わかんない…」てな感じ。まあ降車口で集合時間を書いた紙を掲げていたからOKでしたけどね。
バス降りるときにコート着たりで手間取っていたら、門前まで行かれてしまい、置いてきぼりで慌てて追いかけました。(途中でS坊待っててくれましたが)人数確認して行かないのね(;;)

観光地でバスの客が一人消える・・・
     ・・・・TVの安っぽいご当地ミステリードラマみたいじゃん(@@;)

走行距離はそんなに長くなかったけれど、ドライバーさんが二人で安心でした。その点は会社は気を使っているのね。


                    ☆最後に東国三社☆彡
鹿島神宮】                           【香取神宮
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息栖神社
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 やはり三社をもっと時間をかけて見たいので、新緑の季節にでもまた行きたいと思います。
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by bumidayat | 2017-01-24 01:30 | お出かけ

元旦 香取神宮 東国三社巡り ❸

懸賞 2017年 01月 21日 懸賞

12月15日【息栖神社】ここクリック
1月12日【鹿島神宮】】ここクリック

                                               の続きです。

三社の位置 d0009105_2115963.jpg










【香取神宮】ここクリック
  
鹿島神宮より、昔の『国家神道』を意識しているような気がしました。

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香取神宮は、全国に400社の香取神社の総本社。
  御創祀は神武天皇18年(紀元前643年)と伝えられ、
主神は、経津主大神(フツヌシノカミ) 現在の御社殿は元禄13年の御造営。
毎年4月14日の例大祭には、宮中より御遣いが参向される勅祭の神社。
平安時代において「神宮」の称号で呼ばれていたのは、延喜式によれば伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の三社だけであり、香取・鹿島の両神宮は北方の蝦夷を征伐するために造られた大和朝廷の前線基地であったと言われている。

『延喜式』によれば、神宮の鎮座する下総国香取郡は神郡、すなわち郡全体が神宮の神領に指定されていた。
元禄時代までは306,000坪。中世には、神官同士の争いや千葉氏に代表される武家からの神領侵犯があり、
千葉氏の滅亡後、代わって関東に入った徳川家康の下で天正19年(1591年)に検地が行われた結果、社領は大幅に削減され、現在37,000坪

香取神宮は、国家鎮護の神として、皇室からの御崇敬が最も厚いそうです。
それを思わせるような黒々とした社殿d0009105_21241134.jpg
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天皇陛下が行う【四方拝】にも重要視されているのが分かります。
★これ興味深いです !!★ 礼拝の仕方の映像
ここ是非クリック
 元日の午前5時30分に、天皇が黄櫨染御袍と呼ばれる束帯を着用し、皇居の宮中三殿西側、神嘉殿の南側の庭に設けられた建物の中に入り、
 伊勢神宮の皇大神宮・豊受大神宮の両宮に向かって拝礼した後、四方の諸神を拝する。
[伊勢神宮、皇大神宮、神武天皇陵・先帝三代(明治天皇陵、大正天皇陵、昭和天皇陵)、豊受大神宮、氷川神社、賀茂別雷神社、賀茂御祖神社、石清水八幡宮、熱田神宮、"鹿島神宮""香取神宮"]
現在ではあくまでも皇室の私的な行事とはなっているが、天皇陛下が年初に国民と国家の安寧を遥拝されてお祈りされる神聖なことのひとつとされている。
※やはり天ちゃまは、一心に国民のために祈って下さっているのだと感じる。退位しても、今の天皇にやって頂きたいw)


             一の鳥居
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境内配置図d0009105_21434697.jpg










             参道入り口
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二の鳥居d0009105_1440332.jpg       d0009105_14404968.jpg








鳥居の脇に、木の立派な看板が。
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                                  定
『車・馬を乗り入れる事
 魚・鳥を捕える事
 竹・木を伐る事
 境内において禁ずる』

三の鳥居d0009105_14423295.jpg 
       総門d0009105_1443496.jpg




 
                楼門
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                 拝殿
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回廊d0009105_14453684.jpg 境内 d0009105_1447318.jpg













          神幸祭立て札
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香取神宮の式年神幸祭には華麗な龍頭船が行き、鹿島神宮から典雅な迎え船が出るそうです。


混雑
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実際はこんな感じ。表参道、裏参道ともにぎっしり並んでいました。


夕景の画像を見つけました
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夕暮れ、灯が燈った神社っていいですよね♪ 
次回は夕方だw



香取神宮宝物館http://www.chiba-web.com/chibahaku/13/  
                   
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●国宝 「海獣葡萄鏡」中国唐時代                 
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●重文「双龍文鏡 和銅鏡」製作年代(1149)
正倉院御物、大山祇神社の神鏡と共に 『日本三銘鏡』





●重文 「古瀬戸黄釉狛犬 1対」阿像・吽像d0009105_14522615.jpg
  室町時代。阿像は250 円切手のデザインとなっている。








★重文の数々の古文書(中のひとつ『香取大禰宜家文書 15巻7冊(381通) 』はなぜか個人蔵で、平安時代からの記録の詳細が不明?鹿島神宮のような本が出来るといいのに何とかならんものかしら…


菊の御紋の戦艦香取の舳先d0009105_1453714.jpg












ショーケースd0009105_14534495.jpg









★宝物館にしては何だか不思議なものがいろいろと。
一階には、「練習艦かとり」に乗船した訓練生が奉納したという世界各地のお土産物品が。。。マヤの暦だったり、メキシコの彫物や仮面、モルフォ蝶の額、なんとバリ島の黒檀の女性の胸像も・・・意味不明すぎる。こういうものを奉納している海自幹部候補生、大丈夫かね?
 2階には、海獣葡萄鏡や重文の品々ほか、外国人作の日本の古代神話絵画集が・・・宝物館に入れるべきものなのかね。
  博物館や美術館と違い、学芸員が居るわけではないから仕方ないと思うが、他の神社仏閣はきちんとしているよね。

 本殿など数年前に大規模修繕などして完璧なのに、宝物館は古色蒼然、老朽化丸出しでした。
その上、あの展示方法…国宝と土産物が同じところにあるって変ですよ。
そのうち建物をリニューアルするんでしょうが、その際はきっちり分けて展示して欲しいものです。

   


【奥  宮】(おくのおみや)d0009105_1561844.jpg
香取の宮中、旧参道の中程に鎮座。経津主大神の荒御魂を祀ります。
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     現在の社殿は、昭和48年、伊勢神宮御遷宮の折の古材に依るもの。




奥宮にふさわしいひっそり感
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奥宮の入口左側に「天真正伝神道流」始祖・飯篠長威斎 墓」がありました。
立看によると、
日本最古の剣道の流儀を始めた人物。以来、中条流、影久流、鹿島神道流などが誕生。
"香取神宮の境内"で、剣法の奥義を極めた。ので、そのため、鹿島神宮と香取神宮は共に剣道を学ぶ人たちにとっての聖地にもなっているそうな。ナルホド…
特に、香取神宮の神徳館には剣道と精神修養のための合宿にも盛んに使われているそうな。
【神徳館】神徳館
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 弟子として、鹿島神宮の神官の息子塚原ト伝は、父親から学んだ鹿島古流(鹿島中古流)に加え、天真正伝香取神道流を修めて、これは私でも知ってる「鹿島新当流」を開いた。







1月16日には【星鎮祭】 
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弓道場に設けられた大星的を射ぬき、邪気を祓う祭事。
星の運行を乱し、世の混乱を起こす「アメノカカセオ(あまつみかぼし)」という神を、
香取の神が弓で射落とし、星塚に鎮めたとする神事です。
弓道場の矢道に大星的を設置し、4名の射士が射ぬいた後、竹を塚に見立てた小さな砂山に刺して、星の神を鎮めます。
私はなんだか、この鎮められた「アマツミカボシ」さんが気になるんです^^
  




御神木の大杉。向こうは神札授与所
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要石d0009105_15144755.jpg
鹿島神宮のは凹んでいましたが、どんな意味があるのでしょうね。








            奉納された自衛隊練習艦かとりの錨
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【津宮の浜鳥居】 香取神宮の奥宮から真北に進むと利根川の川岸に木の大きな鳥居が建っています。d0009105_15203156.jpg津宮鳥居とか浜鳥居と呼ばれているようです。「津」は湊のことだそうです。
昔は「香取の海」「香取の流れ海」と呼ばれ、鹿島神宮と香取神宮はこの内海を挟んで鎮座。                  
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(1,300年前から明治時代前期まで)
 

今は霞ヶ浦も小さくなり、この湊のある場所も利根川沿いになりましたが、ここが香取神宮の参拝入口だったことをうかがわせます。
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川から見た鳥居と常夜灯。護岸が高いな…








摂社のひとつ【又見神社】d0009105_152531100.jpg

 
向かって右脇に古墳の石室が露出しています。d0009105_23415825.jpg  


← ↓








多分つくば産の雲母片岩を組み合わせた石室で玄室のみ残存。
コの字に刳り貫いた玄門の造りは、つくば市の官衙に行ったついでに見た平沢古墳群とよく似ている。


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江戸時代の俣見神社図 これにも記載されていますね。
社殿の下2mにも箱式石棺があるそうな。見たい…



小さな奉献品を納めたら、神札を頂きました
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                               御朱印、これで三社すべて揃いました。



















三社守りd0009105_15131245.jpg  d0009105_15134153.jpg











三社めでたく廻り、神紋3枚全て貼ることが出来ました♪
  神紋は、鹿島=「流れ三つ巴」息栖=「三つ巴」香取=「五三の桐」




☆☆☆香取神宮は列に並ぶスタイルなので、10人ほどの幅でずーーーーーーーっと、表・裏参道共に並び、参道の両側の店々も入れないくらいでした。手水なんてどこにあるやら分からず探してやっと見つけ、離れているせいか空いていた奥宮を拝しました。
鹿島神宮も人出は多かったですが、自由に入れましたので並ばされるのはどうかなと思いましたが、あちらと比べると狭いので仕方ないのかしら。行列に並んでいたら、多分4時間くらいかかったのではないかと…(-_-;)
 三が日は香取神宮の参拝は避けたほうがいいと思いました。
    次回は桜か新緑の季節にゆっくり回りたいです。

※※※ 成田山新勝寺など、まとめに続く
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by bumidayat | 2017-01-21 21:20 | お出かけ

元旦 鹿島神宮 東国三社巡り ➋

懸賞 2017年 01月 17日 懸賞

12月15日【息栖神社ここクリックの続きです】

三社の位置                   
        1,300年前から明治初期まで             現在                 d0009105_124121.png d0009105_124731.png








国は本気で埋め立てしたのね。





10月に行った、米国の宇宙飛行士が宇宙から日本のある場所が光っているのを見て、訪ねてきたという【御岩神社】ここクリック
創立年代が古すぎて不明なので、創立年ランキングに一度も入ったことがないそうですが、この鹿島神宮も相当な昔。
ランキング一例ここクリック



【鹿島神宮】ここクリック
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常陸国(茨城県)の一之宮である鹿島神宮は、全国に約600社ある鹿島神社の総本社です。
創建は神武天皇の時代と伝えられており、関東の中で最古の神社です。

「神宮」と名の付く神社は今ではいくつも見られますが、
平安時代から、伊勢神宮の他に神宮と呼ばれたのは、この鹿島神宮と向かい側の千葉県にある香取神宮だけだそうです。

主神は武甕槌神(タケミカヅチ)。アマテラスに命じられ本拠地鹿島から、神栖の天鳥船神(息栖神社の)に先導され、出雲の大国主と和平交渉して成功した神様です。

平安時代には、鹿島出身の藤原氏(中臣)の勧請で、御蓋山(三笠山)→春日大社へ、この鹿島神宮のタケミカヅチ神のご分霊が、息栖神社のアマノトリフネ神の先導で、白い神鹿に乗って行きました。(50年後の政変時に、次に書く香取神宮のフツヌシ神(経津主神も勧請されました)

このとき、旧地名「香島」(かぐしま)(かしま)だったものを「鹿島」と称するようにと。

だから、春日大社には社殿が更にお迎えした二神を含め、四つ並んでいるんですって。
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ですので、春日大社と奈良公園の鹿のルーツは鹿島神宮。(鹿島で一度、絶滅して一部が里帰りして現在に至るww)
 今公開されている国立博物館の「春日大社 千年の秘宝展」にも行きたいな~。
ここクリック
同じ神様を祀っているのに春日大社はうまいですよね。朝廷の庇護を受け続けていたというのもあるし、祀り方も華やかであでやか。おかげで世界遺産にもなりましたね。


鹿島神宮は440,000坪と広いけれども、文禄四年さらに佐竹氏が改めて29,900石を寄進したのに、豊臣秀次に500石に減らされたり、大火にあったり不運も。
一石は約300坪だから8,970,000坪が、1,000坪になっちゃったわけね。
この年、秀次は秀吉の怒りに触れ自害させられたそうな。神罰かしらん。
 もしそのまま頂ければ、9,470,000坪だったのにね。それでも伊勢神宮に遠く及ばないw
ちなみに伊勢神宮は27,500,000坪ですって、世田谷区ぐらいだそうな。すごい…

その昔、遷宮も行われていて、明治初期までは斎王制度があったそうです。お役目は神官のお嬢さんが。


行く前に図書館で常陸国風土記はじめ、探せるだけの三社関係の本を読んだのですが、特にこの本は素晴らしい内容でした。昭和43年出版の先代の大宮司の書かれた本で、「ほー」とか「へー」とか「え、そうだったの!」というところをコピーしようと付箋を付けていったら、ほとんど全部になってしまい(^^;)買うことにしました・笑
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(鹿島神宮だけではなく、古事記や地誌など、並々ならぬ知識に感嘆。また戦後はGHQに皇室から厚い御崇拝を受けていたため睨まれ、ジープで石段を乗り上げてきたなんて話も)


さて、鹿島のタケミカヅチ神のご分霊は、白鹿に乗り、数々の鹿を引き連れて春日大社へ向かいます。
立ち寄った東京の江戸川区にゆかりの鹿骨(ししぼね)という地名が残っています。
(東京に地名変更の嵐が吹き荒れた時に、地元の人々の大反対でこの地名が残ったそうです)
町のあちこちに鹿の像がd0009105_20284147.jpg
だから小中学校やバス停などにも^^

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鹿骨神社 鹿の像がありますね

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 「…神護景雲元年(西暦767年)に、藤原氏は氏神である鹿島の大神の 御分霊を奈良にお迎えして春日神社を創建しましたが、そのとき、御分霊を神鹿の背に乗せ、多くの鹿を連れて一年がかりで奈良まで行きました。
その時の鹿の足跡が、東京都江戸川区の鹿骨をはじめとして、東海道を三重県の名張まで続いて残っています…
村の口碑によると、常陸の国鹿島郡の鹿島大神が、大和国奈良の春日へお移りになる途中、大神のお供をしていた神鹿が急病でたおれたので、村人たちが丁寧に葬って祀ったのが鹿見塚で、村人たちは、これを奇縁として武甕槌命の分神と天照大御神ほか三神を勧請して一社を建立し、鹿島神社と名づけたともいわれている」(江戸川区教育委員会)

          鹿見塚神社や鹿島神社もあります。d0009105_20321599.jpg






また滋賀県草津もお通りになり、立木神社も出来ました。d0009105_20345394.jpg立木神社について
ここクリック
あちこちに足跡が残っているんですね。










神宮橋から見える 海鳥居(一の鳥居)
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水に赤い鳥居は美しいですね。

バスからは見えませんが、海岸の二の鳥居
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(昭和初期頃)護岸が出来ているけど開口部がある

        (昭和中頃)
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護岸が高くなり塞がれてしまった


             (3.11地震後)d0009105_1337204.jpg
護岸が更に高くなり、海から入れない現在。仕方ないとはいえ、海も見えないし、ちょっと悲しい。






境内図
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楼門を過ぎるとほとんどすぐに横向きの本殿が。


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  d0009105_13523227.jpg楼門

手水には10mほども並んでいましたが、大き目の手水舎に柄杓がたくさんあるので意外に順調に進みました。
あとは並ぶ指示がないので、沢山の人で大混雑ではありますが、広い境内、それなりにお参りは出来ました。




楼門を入り正面に小さな高房社。
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本宮の社殿正面に鎮座していますが、全く目立たないのでほとんどの人がお参りしないけど、本殿に詣でる前に参拝するのが古例なんだそうです。
祀られているのは建葉槌神(タケハヅチ神)。
 タケミカヅチ命は葦原の中つ国をことごとく平定しましたが、星の神の香香背男(カガセオ。アマツミカボシとも)だけは服従しなかったので、建葉槌命(たけはづちのみこと)を遣わし懐柔したそうです。
 本殿の真向かいに、小さいとは言え祠を作って祀るのは功労賞でしょうか、とても珍しいのではないかと。
 服従させられた天津甕星(あまつみかぼし)。別名、天香香背男(あめのかがせお)、星神香香背男(ほしのかがせお)。多分、金星でカガは輝き、金星ではとのこと。
古代、星神を信仰していた部族があり、それが大和王権になかなか服従しなかったことを、「まつろわぬ神」として表しているんでしょう。日立と水戸の間の大甕という土地には「大甕神社」というカガセオを祀った、比較的大きな神社があります。(天津甕星この人"神"だけど気になります)

上の写真は左が仮殿です。
 もともと20年に一度本殿は建てなおしたり修理してきました。その間本殿の神魂は仮殿に御移りになられるのですが、この仮殿の位置は何度も変更になったようです。
昔は楼門をはいって正面にこの仮殿がおかれたこともあったと書かれていました。
 写ってないけど右側に拝殿と本殿。


拝殿
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他には見られない北向きに建てられています。人が多いので上の方だけ。

本殿内陣は、出雲大社とほとんど同じに神様の位置が横向き
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 ちなみに、出雲大社の内陣。d0009105_1484731.jpg








なので人が居ないから横へ周り、独りお参りしました。警備員さんが怪訝な顔(笑)
本殿横d0009105_14215360.jpg












【宝物館】 
国宝、重要文化財、茨城県指定文化財、その他御神宝の数々を収蔵展示しています。
 圧巻は、国宝「直刀 金銅黒漆平文大刀拵」(じきとう こんどうくろうるしひょうもんたちごしらえ)
通称「韴霊剣」「布都御魂剣」(ふつのみたまのつるぎ)全長約2m71cm・刀身2m23cm奈良時代
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『常陸国風土記』には、慶雲元年(704年)に鹿島の浜の砂鉄で剣を造ったと記されています。(「風土記の考古学」ちょっと読んだ。)

「平国剣」(くにむけのつるぎ、ことむけのつるぎ)とされ、戦いの刀ではなく、一振りで国を平定する神刀ということ。
日本神話「国譲り」において葦原中国(あしはらのなかつくに)を制圧するために、タケミカヅチが力を発揮し、神武東征の際、危機に陥ったイワレビコ(神武天皇)を助けるために、タケミカヅチが進呈し、その霊力によって難局を乗り切ったということが言い伝えられています。
(あまりに長いので、相当下がらないと全身の撮影が出来ないそうです・笑)

その後、剣は神武天皇即位後に宮中に祀られ、のち崇神天皇の御世に石上神宮(奈良県天理市)に遷され祀られたとされたということになっているそうですが、HPを見たところ、石上神宮の剣は全く形が違うようですね。禁足地から発掘されたそうですが、それがフツノミタマノツルギとどうやって確認したのかな…
(アマテラスに命ぜられるまま、出雲で和平交渉、神武を助けるたけ大事な剣の貸し出し、おまけに取り上げられちゃって…良かったのかね、でも本物はあるもーんて? ^^;)


境内
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人がいないとこんな様子ですね。

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素朴で原初の宮の姿を思わせます。


更に奥にある御手洗池d0009105_212953.jpg 鯉がd0009105_2124629.jpg
素晴らしく透明。 昔はこちら側から入り、ここで禊をしてから参拝だったそうな。
子供が入っても大人が入っても水が胸の高さまでという言い伝えが。
















要石d0009105_213299.jpg


               鹿園の鹿
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    さざれ石d0009105_214365.jpg










境内内外にたくさんの摂社・末社・元宮などがあります。  
 摂社のひとつ三笠神社
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祀られているのは「三笠神(みかさのかみ)」となっており、神宮のHPでは「古い記録には「甲宮三笠大明神とも申し奉る。または山の神とも申す。地守の神なり」とあり、三笠山の名前は、奈良の春日へ御分霊奉遷のとき一緒に遷って奈良の「御蓋山」(みかさやま)となったと伝えられています。」 と書かれています。
この鹿島神宮創建の時に、この鹿島の森は三笠山と称されており、そこに鎮座していた神社のようです。いわゆる鎮守の森の神だったのでしょうかね。


撤下 神饌(てっかしんせん)を頂きました。
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撤下神饌とは、お供えした神饌の一部をお下がりとしてみんなにお頒ちするもの。
若布とアオサ入りとろろ昆布、神札等。神様の食べ物の御裾分けですね^^
 奉献の品は嵩張らず軽い物をと、小さなお菓子を持参したので恐縮しました。

三社守りd0009105_2183236.jpgd0009105_2194715.jpgイチイの木で作られた三角柱の三面に各社の神印。三社を巡って授いた神紋を貼るお守り。
 左の赤いのは三社を巡った記念に頂いたお守り。


d0009105_21102355.jpg三角柱、これがわかり易いね。↓













御朱印
d0009105_21111828.jpgd0009105_21114139.jpg







































三社の神札
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【おまけ】
うつろ舟d0009105_2113257.png(是非クリックして拡大してね)
江戸時代のUFOか、潜水艦か?








馬琴の記事より抜粋『享和三年(1803年)の春二月二十二日、当時寄合席の小笠原越中守(石高四千)の知行所、常陸の国「はらやどり」という浜で、沖の方に舟のようなものが見えた。
浦人たちが小船で出て浜辺に引き寄せてみたところ、舟の形は香盒のように丸く、長さは三間(約5.45m)あまり、上は格子のガラス窓で樹脂で固めてあり、底は鉄の板を筋のように張り合わせていた。おそらく岩礁から船底を守る工夫だろう。
 皆で上の方から舟の内側を覗いてみたところ、見慣れない風貌の女性がひとり乗っていた。
その眉と髪は赤く、顔はピンク色。髪型は白くて長い辮髪で、背中に垂らしていた。
言葉が通じないので、どこの者か尋ねることもできない。
この蛮女、二尺(約60cm)四方の箱を持っていて、特別愛着のあるものとみえて、片時も離そうとせず、誰にも触らせようとしなかった。
 船中にあるものをつぶさに調べたところ、水二升が入った小瓶、敷物二枚、菓子のようなもの、肉を練ったような食料があった。蛮女は浦人たちが集まって話し合っているのを、微笑みながらのんびり見ているばかりであった。
古老が言うには、「これは蛮国の王の娘が他所へ嫁いだものの、不貞が発覚して相手は処刑、娘はうつろ舟に乗せて流すことで生死を天に任せたのではないか。(中略)昔、やはりこのように蛮女がうつろ舟で流されて近くの浜に漂着したことがあった。(後略)」と。
 これがお上に知られては村の負担も大変だ。海に戻してしまった先例もあるのだからと、また元のように舟に戻して沖へ引いて流してしまったという。
 もし思いやりの気持ちがあれば、こんなひどいことはしなかったであろうが、こればかりはその蛮女の運命が不幸であったというしかない。
また、蛮字がたくさん書かれていたとのとだが、後で考えれば最近浦賀の沖に来たイギリス船にもこのような蛮字があった。ということは、その蛮女はイギリスかベンガル、もしくはアメリカあたりの蛮王の女ではなかろうか。
当時の好事家が書き写して伝えたものは、そのようなものであった。図説ともに大雑把で具体的でないのが惜しい。もしこのことをよく知る者がいるなら、ぜひ詳しく聞かせてほしいものだ』

ほとんど同じような絵と内容の書が数か所に残り、とひとつの村では公式書類として残っているそうです。
流されてあちこち漂着したものか、伝聞で書いたところがあるのか…ひとつには女は死んだというのも。
  海岸を持つ県は面白い逸話が多くて楽しいですよね。



☆☆☆決められた滞在時間、1時間20分ではとても足りませんでした。境内外の摂社や元宮なども見たいので、良い季節になったらまた行きたいと思います。「鹿嶋 神の道」というウォーキングコースもあるそうですので♪


※※ 香取神宮・まとめへ続く









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by bumidayat | 2017-01-17 22:49 | お出かけ

初詣の前置き

懸賞 2017年 01月 03日 懸賞

秋に東国三社参りをしようと思い立ち、初詣ツアーを探しました。
ですが、開催日とS坊のお休み日が合わず、息栖神社は先に私だけ行くことにし、一社である息栖神社のない元旦発のものに申し込みました。

息栖神社へ行った日記はこれです。http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1957399353&owner_id=3656577

秋から三社についての本を図書館で借りまくり、DVDも買って(これ無駄だった冷や汗)、私なりに勉強。
そしたら知らなかったことばかりで、書きたいことが山のようになってしまいました(汗)
それは自分の興味の対象として、非公開にしてあれこれ書くことにするのが吉。

ここでは旅日記をズルズル書くに留めることにします。

申し込んだのは、クラブツーリズムの(長いタイトルのツアー名)
{食べきりフォアグラ丼付き ! 朝採れ野菜の持ち帰りも ローストビーフなど30種以上のランチビュッフェ 成田山新勝寺・香取神宮・鹿島神宮 三社寺初詣}

集合地は行くのが楽な千葉県松戸駅前市民劇場前。
(ビュッフェじゃなく、本当はブッフェですよね)

 ツアー内容は、松戸=西船橋=鹿島神宮=香取神宮=ANAクラウンプラザホテル成田でランチビュッフェ=空の旅さくら館で飛行機の離発着を眺める大迫力のビューポイントと特産品の買い物=成田山新勝寺=西船橋=松戸
移動距離160km トイレ付きバス

[ツアーについて結果から言うと、添乗員のお兄さん、すごい早口、余計な言葉が多い、マイクに口を近づけ過ぎで声がこもり、何を言ってるのか良く分からずS坊に聞いてもバスに戻る時間が分からなかったりしました。各地で駐車場に入る車列が長かったり駐車場が遠かったりで、時間が押して、さくら館での買い物はスルー、飛行機はバスの中から一機見ただけでした。採れ立て野菜はサツマイモでしたw なんだよ]

バスの到着は10分ほど遅れましたが絶好の天気の中、渋滞もなく、スイスイと。朝日が眩しくカーテン閉めっぱなしでどこを通ったのか分からないうちに鹿島神宮に到着。

☆☆前置きが長くなり、年末から頼まれていた猫シッターがまだ終わらないので落ち着かないので、本編は次に・・・・・・・・・・
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by bumidayat | 2017-01-03 04:29 | お出かけ | Comments(0)